こんにちは 庄文堂NEXTストアマネージャー 阿部です。
前回はLCW イームズプライウットラウンジチェアのお話をしました。
今回はハーマンミラー社とイームズ夫妻の関係はいつから始まったのか?について、
2回に分けて書いてみようと思います。
イームズの家具は、販売初期は違う会社が作っていたのはご存知ですか?
ではさっそく行ってみましょう。
エヴァンスプロダクツ社
イームズと他社の関係
1940年代、イームズの家具を製造していた会社は、複数社ありました。
第二次世界大戦時、イームズの添え木、「レッグスプリント」を制作する会社、
プライフォームド・ウッド社が作られました。
会社はチャールズ・イームズにより経営され、ジョン・エルサンテから資金援助を受けました。
ですが、軍からの支払いが大幅に遅れたため経営に行き詰りました。
1943年、エヴァンス・プロダクツ社により、買収が成立し、
プライフォームド・ウッド社はエヴァンス・プロダクツ社の成型合板部門になりました。
エヴァンス・プロダクツ社は、アメリカ、ミシガンを拠点とする木材加工会社で、
社長のコロネル・エヴァンスはチャールズを高く評価しており、製作部門の運営を任せていて、
戦争が終わり次第、イームズの家具を生産するという申し合わせもしていたようですが、
1945年に亡くなりました。
エヴァンス・プロダクツ社は一般消費者への販売はほとんど行われなかったといいます。
当時、社内の他部門を無理に拡張したため、経営が圧迫されていました。
そんな中、MoMAで展示会「チャールズ・イームズの新しい家具」
が行われることになり、エヴァンス・プロダクツ社はこの展示会を最後に、
家具の販売から手を引こうと考えていました。
ところが、展示会は成功し、イームズを世に送る出すきっかけとなりました。
まとめ
ハーマンミラー社との関係が始まる前は、エヴァンス・プロダクツ社が
イームズのオーガニックチェア家具を製作していました。
レッグ スプリント以外にも成型合板を使い、
パイロットシートや輸送機の円錐頭など軍用品なども製造していたようです。
この成型合板の技術が、後のLCW イームズプライウットラウンジチェアなどにつながっていきます。
イームズの家具はこの展示会を通じてで大きく飛躍するきっかけとなったのですね。
今回はここまでです。
次回もお楽しみに。