こんにちは 庄文堂NEXTストアマネージャー 阿部です。
前回はエヴァンスプロダクツ社とイームズの関係について書きました。
今回は、ハーマンミラー社とイームズ夫妻の関係はいつから始まった?の2回目です。
いよいよハーマンミラー社とイームズ夫妻がどう関わっていくかを書いていきます。
ハーマンミラー社、ノール社
迷っていたチャールズ・イームズ
エヴァンスプロダクツ社は、
一般消費者への販売を、ほとんど行っていなかったため、
事業を展開するノウハウを持っていませんでした。
展示会で、高評価を得たイームズのところに、
ハーマンミラー社、ノール社から、積極的な申し出があったそうです。
現ノール社は、あの有名なバルセロナチェアを販売している会社です。
ハーマンミラー社が、イームズに興味を持ったのは、
D.J.デプリー(当時のオーナー)と、その息子ヒューイデプリーが、
当時ハーマンミラーのデザインディレクターを勤めていた、
ジョージ・ネルソンに連れられて、
MoMAで行われた展示会を見に来たことに始まります。
そこで、ネルソンはこういったそうです。
「これがわが社の未来です」と
後に、ネルソンとイームズ夫妻は、
よき友人となりますが、このときは面識がまったくありませんでした。
ネルソン自身、優秀なデザイナーだったので、
他のデザイナーを拒否することも出来ましたが、
ネルソンが後に同僚にこう語ったそうです。
「僕の意見に合わせてデザインさせようとおもったことはありません」と。
誠実なデザインという、ネルソンの考え方にデプリーが感銘を受けて、
ネルソンを、ハーマンミラー社のデザインディレクターとして、
採用されてから1年しかたっていませんでした。
ハーマンミラー社とノール社、どちらを選ぶかをチャールズ・イームズはすごく迷っていたそうです。
イームズ夫妻はハンス・ノール(H.G.ノール家具創設者)を尊敬していました。
その妻フローレンス・シュスト・ノールとは昔からの友人関係だったそうです。
また、イームズはデプリー親子にも惹かれていたそうです。
ですが、最終的にはハーマンミラー社と仕事をすることを決めました。
人々に椅子を買ってもらうときの姿勢の違いだといわれています。
ノール社 国際的なデザイン、記念碑的な価値
ハーマンミラー社 座り心地、使いやすさ
と目新しさより、実際使ってよいものが良いという考えだと、考えられます。
まとめ
イームズとハーマンミラーの関係はここから始まりました。
ですがその後もずっと、順調に進んだわけではなかったようです。
製造の関係など関わらず、最初の数年間(1946年~1948年)、
ハーマンミラーは、家具の流通と販売だけ手がけました。
そして、ハーマンミラーとイームズの関係は1946年~現在まで続いています。
ジョージ・ネルソンがデプリー親子とイームズ夫妻を出会わせなければ、
現在までの関係は無かったと思います。
もしかしたらノール社でイームズの椅子が出ていたかも知れません。
ハーマンミラー、イームズ、ネルソンお互いにとって、
ターニングポイントともいえる歴史的な出会いの年が1946年だったのです。
次回もお楽しみ。