こんにちは 庄文堂NEXTストアマネージャー阿部です。
The history of hermanmiller
一世紀を超えるハーマンミラーの歴史③回目
今回1950年代から60年代
現在は、多くの場所で見かけるハーマンミラー製品ですが、
アメリカから世界に販路を拡大していくのもこの年代です。
近年復刻されているイームズファイバーグラスチェアやイームズハングイットオール、
ネルソンマシュマロソファその他、ハーマンミラーの有名チェアもこの時代に作られた製品です。
世紀を超えて愛されるハーマンミラー製品
1950年
ハーマンミラーがミシガン州の企業としては初めて、経営参加と利益配分のモデルであるスキャンロン・プランを採用。
これ以降、ハーマンミラーとカール・フロスト博士の長期にわたる協力関係が始まる。
ハーマンミラーの参加型経営に対するフロスト博士の指導は多年にわたる。
チャールズ&レイ・イームズのデザインによる、世界初のファイバーグラス製チェアをハーマンミラーが発表。
イームズストレージユニットとワイヤーベーステーブル発表。
1951年
ハーマンミラーと、
著名なカラリストでありテキスタイルデザイナーであるアレキサンダー・ジラードの多年にわたる協力関係が始まる。
イームズエリプティカルテーブル発表。
1952年
ジラードがハーマンミラーに新設されたテキスタイル部門のトップに就任。
ネルソンバブルランプ発表。
1953年
ジラードウォールペーパーと イームズハングイットオール発表。
1954年
ネルソンペデスタルテーブルと イームズソファコンパクト発表。
1955年
イームズストレージユニット販売終了。1998年に販売再開。
イームズプライウッドフォールディングスクリーン販売終了。1994年に販売再開。
ネルソンココナッツラウンジチェアと イームズスタッキング/連結チェア発表。
1956年
イームズラウンジチェア&オットマンがテレビ番組『The Today Show』で全米に紹介される。
このチェアは、ハーマンミラーの品質と革新性を象徴する、きわめて顕著な存在となる。
1957年
イームズプライウッドチェア、プライウッドラウンジチェア、プライウッドコーヒーテーブル販売終了。
これらは1994年に販売再開。
ハーマンミラーがヨーロッパ市場で製品販売を開始。
1958年
ロバート・プロプスト、ハーマンミラーのリサーチャーに就任。
ハーマンミラー、ジーランドの本社社屋建設を開始。ジョージ・ネルソンが主席建築士に就任。
カリフォルニア州ヴェニスに新プラント、サンフランシスコにショールームがオープン。
イームズアルミナムグループチェア発表。
1959年
垂直の空間を活用し、リビングスペースを開放する ネルソンコンプリヘンシブストレージシステム発表。
1960年
Herman Miller Furniture Company が株式会社となり、Herman Miller, Inc. に社名を変更。
のちに Herman Miller Research Corporation となる Herman Miller Research Division がミシガン州アナーバーに完全子会社として創業。
発明家であり教師でもあるロバート・プロプストが社長に就任。
イームズウォールナットスツール発表。
1961年
ハーマンミラーのテキスタイルとアクセサリーの販売店、
Textiles and Objects Shop(T & O)がニューヨークシティにオープン。同店は1967年に閉店。
イームズハングイットオール販売終了。1994年に販売再開。
1962年
D.J.デプリーの息子、ヒュー・デプリーが Herman Miller, Inc. の社長兼 CEO に就任。D.J. デプリーは会長に就任。
イームズタンデムスリングシーティング発表。シカゴ・オヘア国際空港で採用。
1964年
ロバート・プロプストとジョージ・ネルソンが協同で、最初の アクションオフィス1 のプロトタイプ作りに着手。
独立ユニットをグループ化したシステムで、のちのアクションオフィスシステムの原型。
イームズエリプティカルテーブル販売終了。1994年に販売再開。
ネルソンスリングソファー発表。イームズダイニングテーブル発表。
1965年
ネルソンマシュマロソファ販売終了。1999年に販売を再開。
1966年
150近くの販売代理店との契約により、
ハーマンミラーは中央・南アメリカ、オーストラリア、カナダ、ヨーロッパ、アフリカ、中近東、スカンジナビア、日本へと販売先を拡大。
1967年
ネルソンプラットフォームベンチ販売終了。1994年に販売再開。
ハーマンミラーはスイスで、総プラスチック製の Panton チェアを発表。このチェアは1975年まで販売。
1968年
ハーマンミラーがアクションオフィスシステムを発表。パネルとそれに付属したコンポ―ネントからなる、
世界初のオープンプランのモジュラーシステム。
ロバート・プロプストによるデザインの アクションオフィス(のちに「AO」と呼ばれる)は、オフィスデザインに革命をもたらし、新しい業界につながる。
ロバート・プロプストの著作『The Office:A Facility Based on Change』出版。
イームズチェイス発表。
1969年
D.J.デプリーが会長職から引退。ヒュー・デプリーが新会長に就任。
Herman Miller, United Kingdom が創業。イギリスとスカンジナビア全域の販売とマーケティングを担う。
イームズソフトパッドチェア発表。
そのときの世界と日本の出来事
1950年
朝鮮戦争勃発
韓国と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が武力衝突し。北朝鮮軍が北緯38度線を越えて南下した。
警察予備隊(自衛隊の前身)発足
マッカーサー元帥は7月8日、吉田首相に書簡を送り、7万5千人の国家警察予備隊の創設と海上保安庁の8千人増員を指令した
1951年
サンフランシスコ条約調印
日本が占領下から独立国として国際社会に復帰するための対日講和会議、
サンフランシスコで52か国の代表団が参加して開かれた。ソ連、チェコ、ポーランドを除く49か国がサンフランシスコ条約に調印した。
日本は千島列島(4島は含まず)と樺太を放棄した。
1952年
平和条約発効 講和条約が発効されGHQが廃止された。
1956年
日ソ国交回復
日ソ共同宣言「ソ連は平和条約締結後歯舞諸島と色丹島を引き渡す」。
日ソ共同共同宣言の批准書が交換され、日ソ間の国交が正式に回復した。
1957年
南極基地
南極学術探検隊が、観測船「宗谷」からヘリコプターでオングル島に上陸し、「昭和基地」と名付けた。
「宗谷」が氷海に囲まれて立ち往生、ソ連の「オビ号」に救い出された。
1960年
日米新安保条約反対闘争
岸首相は、ワシントンで、日米新安保条約などに調印した。
自衛隊の強化、極東の範囲、米国の行動や装備(核持込み)の変更に際しての事前協議などの問題点から、国民的な反対運動が展開された。
1961年
世界初の有人宇宙船
ソ連が「ウォストーク1号」を打ち上げた。
地球一周に成功し、ソ連領内の予定地点に着陸。
人類初の宇宙飛行士となったガガーリン少佐が帰還後に「空はとても暗かったが、地球は青かった」と語った。
1962年
キューバ危機
ケネディ米大統領はソ連がキューバにミサイル発射基地を建設中と発表、キューバ海上封鎖を声明。
その後、ウ・タント国連暫定事務総長のあっせんで、フルシチョフ・ソ連首相が攻撃用兵器撤収を表明して一段落した。
1964年
東京オリンピック
アジア初のオリンピックとなった東京大会の参加国は大会史上最多の94ヵ国、参加選手・役員は7,495人を数えた。
1965年
アメリカがベトナム戦争に直接介入
解放戦線の攻撃を受け85人の米兵が死傷したのに対し、
ジョンソン米大統領は報復命令、米軍機が北緯17度の停戦ラインを越え北ベトナム領内への爆撃(北爆)を決行した。
1966年
ビートルズ来日
東京・九段の日本武道館で第1回日本公演が行われた。
夜7時、山田内田裕也グループ、ザ・ドリフターズの演奏のあと、
約1万人のファンの悲鳴や絶叫の中で11曲を歌い、
35分だけの公演を終えた。司会はE.H.エリック。
会場は警備車、救急車、パトカー、ジープで埋まり、
講演中の警備人数は述べで3万5000人の厳戒体制であった。
1967年
非核三原則
自民党は、「核兵器を作らず、持たず、持込まず」の非核三原則を含む
「核政策の基本方針」をまとめた。
1968年
三億円事件
東大紛争
黒人運動指導者キング牧師、撃たれて死亡。
1969年
人類初の月面着陸
アメリカ(NASA)の月着陸宇宙船アポロ11号の着陸船「イ-グル」が、月面への着陸に成功した。
ニール・アームストロング船長(39)が月面に下り立ち、人類史上初めて地球以外の天体に足跡を残た。
第一声は、「一人の人間にとって、これは小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」。
まとめ
1969年までの歴史を紹介しましたが、
世界では第二次世界大戦が終わりましたが、次は朝鮮戦争、ベトナム戦争と続いていきます。
人類が始めて宇宙に飛び出し、月面に着陸したのもこの年代です。
ハーマンミラーはデザイナーと共に世の中に、
数々の名作をこの時代にも残しています。
年表を見てみると、復刻されているの商品も数多くあることが分かります。
約50年前にデザインされた商品なのに、古い感じがまったくせず、
むしろ、芸術作品のように時がたっても擦れない
そんな製品を作り出せるインテリアデザイナー、
工芸家がハーマンミラー製品をデザインし、今現在も多くの人に愛されています。
今回は1950年代から60年代のハーマンミラーの歴史と世界状況を書いてみました。
次回もお楽しみに。