こんにちは 庄文堂NEXTストアマネージャー 阿部です。
皆様は学生時代、歴史の勉強はお好きでしたか?
私は、昔から、歴史のお話は、大好物で、
特に好きなのは、べたですが、安土桃山時代~江戸、幕末ですね。
大河ドラマを毎週録画してみておりますが、
今年の大河ドラマ 真田丸は、龍馬伝以来、久しぶりに面白いですよ。
とそんな今回から5回に分けて、歴史の話をして見ます。
The history of Herman Miller more than a century-1世紀を超えるハーマンミラーの歴史と題して、
創業から1世紀以上続くハーマンミラー社の歴史を紐解き、
どんな会社で、どんな歴史があるのか、
100年もの時間の中で、そのとき日本は、世界では何が起こっていた?
などを書いてみたいと思います。
ハーマンミラー社創業、そのとき日本は、世界は?
1905~1927
1905年
ミシガン州ジーランドで、ベッドルーム家具製造会社、
スター・ファニチャー・カンパニーが創業。
1909年
ミシガン・スター・ファニチャー・カンパニーと改称。
ダーク・ジャン(D.J.)デプリーが同社に入社。
事務員として採用される。デプリーは18歳。
1919年
D.J.デプリーがミシガン・スター・ファニチャー・カンパニーの社長に就任。
1923年
D.J.デプリーの勧めにより、義父のハーマン・ミラーが、ミシガン・スター・ファニチャー・カンパニーの過半数の株を購入。
ハーマンミラー・ファニチャー・カンパニーと改称。
デプリーがハーマンミラー・ファニチャー・カンパニーの初代社長に就任。
同社は引き続き、伝統的なスタイルの家庭用家具を製造。
1927年
D.J.デプリーがハーマンミラー・クロック・カンパニーを設立。
同社は伝統的なデザインの時計を製造していたが、
のちにギルバート・ローディのデザインも加える。
機械工の一人が仕事中に亡くなり、デプリーは家族を弔問した際、
未亡人から夫が生前書いた詩を聞かされる。
デプリーはそれに深く感銘を受け、すべての従業員を特別の才能と可能性を持った個人として扱う決意を固めた。
この機械工の話は、ハーマンミラーの伝説の一つとして語り継がれることになる。
今から100年以上前の創業当時は、ハーマンミラー社ではなく、スター・ファニチャー・カンパニー、ミシガン・スター・ファニチャー・カンパニー
後にハーマンミラーの初代社長になるD.J.デプリーは18歳で入社し、28歳でミシガン・スター・ファニチャー・カンパニーの社長になります。
その後、義父のハーマン・ミラーがデプリーの勧めで同社の株を過半数買ったことによりハーマンミラー社の長い歴史が始まります。
そのとき日本は?世界は?
上記の年表と同じ年に起った歴史上、重要な出来事をまとめてみました。
1905年(明治38年)
ハーマンミラー社の前身、スター・ファニチャー・カンパニーが創業した1905年、
日本は日露戦争(1904年2月8日 – 1905年9月5日)の真っ只中
アメリカが仲介に入り、成立したポーツマス条約締結の年です。
1909年(明治42年)
D.J.デプリーがスター・ファニチャー・カンパニーに入社した年、
日本で起っていた出来事は
初代総理大臣 伊藤博文 暗殺
作家 太宰治 松本清張 誕生
1919年(大正8年)
パリ講和会議開催
D.J.デプリーがミシガン・スター・ファニチャー・カンパニーの社長に就任した年、
世界では、パリ講和会議が行われ、第一次世界大戦の凍結のため32カ国が参加して、会議が行われた年です。
1923年(大正12年)
ミシガン・スター・ファニチャー・カンパニー
改めハーマンミラー・ファニチャー・カンパニーとなったこの年
日本では関東大震災
世界では、トルコ共和国成立
1927年(昭和2年)
ハーマンミラー・クロック・カンパニーの設立の年
世界では、リンドバーグ、初の単独大西洋無着陸横断飛行
日本では 作家 芥川龍之介服毒自殺
まとめ
今回はハーマンミラーの1905~1927年の歴史と世界情勢について書いてみました。
100年以上前、歴史の教科書に出てくるような、そんな時代にハーマンミラーは誕生したんですね。
ハーマンミラーが誕生した1990年代前半は、世界が混沌として、戦争に向かっていく時代。
この後ハーマンミラーに有名デザイナーが続々と登場して世界的な会社になっていくのはまだ先の話です。
今回は、一世紀を超えるハーマンミラーの歴史1/5回目をお送りしました。
次回もお楽しみに。